「生きのびるための事務」を読みました。1

自信のない学生時代でした。親が離婚したこともあって、何をするにも(例えばファミリーレストランでメニューを選ぶことでも)親の顔色を伺い安いものを頼むような、よくいえば協調性のある子でした。だけどそうやって周りに合わせて生きていった結果、いつの間にやら「私なんてどうせ」的思考が染みついていました。

今回はそこからどう脱却していったかをお話しします。

まず、最初は脱却することが大事だと思っていませんでした。セルフラブなんて概念のない時代の話です。

夢をみて叶えようとすることは一部の特別な人間のすることで、私は平凡でささやかな幸せがあればそれでいい。今はしんどいけど、頑張って仕事していれば少し給料も上がって、ささやかなやりたいことができるようになるはず。そう思っていました。

ところがどっこい、いくら仕事で評価されようとも給与はほんのちょっとしか上がりません。それもそのはず、私は当時接客業で、時給で働いていました。

どれだけ拘束され、どれだけスタッフたちが心地よく働ける環境づくりを頑張って、どれだけクレームを丸く収めても、給与は大して変わらない仕組みでした。

私は高卒です。まともに就活をしたこともなかったので、いわゆるサブロク協定も知らなければ、世の中にどんな職種があって、私にどんな可能性があるのかもわかりませんでした。

職場の大人たちからは、あなたはどこでもやっていけるよと褒めてもらえるまでに成長していました(最初は本当にポンコツでした。そのはたちそこそこの私を育てて下さったパートさんたちには本当に感謝しています)。

このまま続けて一緒時給で働くことに不安を覚えました。生活はできているけれどもギリギリで、もし病気になったらどうなってしまうんだろうと思うレベルでした。

私は、自分が何をしたいのか、よくわかっていませんでした。まだ本当の自分を知る旅に出ていなかったのです。本当の自分を知るのは、知る前から考えるとこわいことです。見ないフリをしておけば、何のスキルがあって何はないのか、そこを把握しなければ真実というものに直面しなくてすみます。

自分のことはよくわかっていないけれども、私には唯一高校生の頃からの夢がありました。

それは自分の目で海外を見てみることです。移住したいとか、向こうで活躍したいなんて大それた夢は抱いていませんでした。ただ旅に出てみたいと強く思っていました。高校で留学する道もきっとあったのですが、母子家庭だったこともあり、また周りに否定されるのも怖くて、結局「何もしない」ことを選択したのですね。

さて、そんな「海外に旅に出る」夢は大人になって自分で稼いで行けばいいや、と思っていたのですが、いざ働いてみるとそんなお金と時間が捻出できなさそうだと気づきました。

いつまでもゆとりのない生活でいいのだろうか?と悩んだ結果、仕事を変えてみよう、と決心します。ただ「方法」がわからないのです。その当時転職エージェントのCMはたくさんやっていましたが、「あれは大卒の人が使うものだ」となぜか思い込んでいたのです。

さて、仕事を探すにあたって、私に何ができるんだろうか、転職ってどうやってやるんだろう。そもそも何がしたいんだろう?と悩み出し、そこからまた一年くらい動けないまま、生きていくための日常に忙殺されていきます。

つづく

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