「生きのびるための事務」を読みました。3

「生き延びるための事務」を読んで思い出したことをつらつら書いています。

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 さて、転職エージェントを使ってIT業界に転職したところまでお話ししました。

 左脳的というか、条件面だけ見て、というかなんというか、とにかく煽られた不安から転職を決めてしまったのが災いしていざ現場に入ってみる(SESでした)と「考えていたのと違う!」というショックに襲われました。

 正確に表現すると、3割は予想通り・7割は想定外でした。頑張って勉強してバリバリ稼ぐんだ!と思って研修頑張りました。が、実際働き始めてみたらそこでの知識は全く使わない。資格を取ろうと燃えていましたが、「そんなの使わないよ」と先輩に言われます。おまけに、資格を取っても稼げる道はなさそうなこともわかってきます。そしておまけのおまけに、自分に向いていると思えないのです。何かが起こるまで待機。椅子をあたためるだけの簡単なお仕事。人によっては合っているのかもしれませんが、ストレングスファインダー内省1位のわたくし、暇だと考え事ばかりしてしまいます。ここに私がいる意味は・・・・・?

 それでいて手取りは接客業時代とほぼ同じだったので、あんなに頑張ってやりがいを感じて得たお給料と、椅子をあたためて自分がゆっくりなくなっていくような感覚を覚えながら慣れないことをするお給料が同じだなんて、世の中はおかしいなと不思議に思っていました。

 そのアンバランスを溜め込んだ結果、たのしいことがたのしくなくなり、涙が出たり、体調が悪くなったり、食欲が失せたり、とにかく寝たくなって、朝には起きたくなくなったりと、そんな症状が出てしまいました。

 そんな状態でも救いだったのは、私は「どこか遠い場所に行きたい」と願ったものの「この世からいなくなりたい」とは思わなかったことです。なんだかんだ根っこに向上心があるのか、それとも「まだ楽しいことを満足にしていない。これで終わるなんて許せない」と謎の理不尽さを感じていたのかもしれません。

 でも黙って耐えていたってその状態は変わりません。そこでやっと、私は私を救うと覚悟を決めました。私はまだ人生を楽しんでいない。できる限りの悪あがきをしようと思いました。

 まず、今の仕事は向いていない=もっと楽しめる仕事がある、と置き換えました。じゃあ私の得意なことってなんだろう?好きなものはなに?興味の対象はなに?なぜ好きなんだろう、・・・・とひたすら脳内やノートにジャーナリングしていきました。

 そんなときコロナが流行し、リモートが導入されます。たくさん眠ることができるようになり、フィジカルが少しずつ回復します。

 ネット上で見つけた自己理解ワークみたいなものをたくさんやりました。最初はわからなくて、自分のことなのに「誰か正解を教えてくれ」と思いました。それでも自分と向き合い続けました。悪循環の中にいると、できないところばかりに目が向きます。好きなことじゃなくて、「避けたいこと」「苦手なこと」「嫌いなこと」まずはそういうものを並べていって、それを避けるにはどういう道があるのか、と考えたりしました。

 幸運なことに内省力があるので、ひとりでぐるぐると考え続けることは得意です。自分と向き合うことは最初は楽しくなかったのですが、自分の破片を少しずつ集めてみると、だんだん全体像が見えてきて楽しくなってきました。今では「自分の推しは自分」状態です。そうなると人生は楽しくなります。仕事が変わらなくても楽しい度合いが増えたり、幸せ指数がちょっとアップします。それを見逃さないことが大切です。先週の自分と比べて楽しい度合いが0.1アップしたな、と気づくことです。ここでのポイントは、同世代の有名人や同期なんかと比べるのではなくて、過去の自分と比較してどれぐらい変化しているかに気づくこと・そしてそれを自分で認めることです。

 つらいな、しんどいなっていう人は自分への期待値が高すぎるのです。高すぎることは自分に期待をしていることの裏返しなので、基本的にはいいことだと私は思っています。ただし「自分への期待値が高すぎる」ことの自覚がないとしんどいのです。たぶんね。もっとできるはずなのにこれしかできてない自分を許せなくて、自分で自分を(感情的に)タコ殴りにしてしまうのです。

 ところが、推しになったらどうでしょう。ちょっと頑張っただけでもえらいし、出勤しただけでも愛でるはずです。なんなら生命活動を維持しているだけでも拝みたくなりませんか?極論、そういうことなのだと思っています。自分に詳しくなれば得意不得意や好き嫌いがわかって、小さなできることを積み上げていくだけなのです。これに気づいては、疑って、「とは言っても世の中で生きていくためには多少の我慢が必要だよね?」とまたフタをしての繰り返しで数年やってきたのですが、ジャーナリングが習慣になったおかげでだんだんそのフタの軽量化が進んでいました。

そして出会ったのが「生きのびるための事務」です。(やっとここまでたどり着いた・・・)

つづく

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